その小さな道具のルーツは江戸時代にまでさかのぼる

 バレンと聞いて、それがどんなものであるかまったくわからないという人はおそらくいないだろう。子供の頃、図画工作の授業で誰でも一度は使ったことはあるからだ。その経験から年賀状を木版画で摺った人も少なくないだろう。

 だから、丸くて平たい形をしていて、摺る面が竹皮で包まれていることくらいは誰でも知っている。そして、竹皮を結んだ把手の部分を握り、版木に乗せた紙の上から円を描くようにこする、そうした使い方も然りだろう。もしこれからまた使ってみたいとなれば、文房具屋や画材店に行けば簡単に手に入る。

 試みに、都内の画材店に足を運んでみよう。たとえば新宿の「世界堂」。版画関係の売り場の一角にお馴染みの「スーパーキングバレン」が並んでいる。小100円,中120円、大240円、相変わらずこんなに安いのかと驚かされてしまう。そのほか「ディスクバレン」と称する、全体がプラスチック製のバレン2500円などが置かれている。

 あるいは、渋谷の「うえまつ」こちらには「甲芯バレン」というメーカーのものが豊富に揃っている。一般用で直径10pが2,500円と3,000円、11pが3,500円と4,000円、12pが5,000円と6,000円という具合。加えて専門家用となると、最も高いもので15p 18,000円というのがある。

 素材や製造もそれぞれで、価格はピンからキリまでという印象だ。ただ、このくらいの価格幅は当然と思える範囲ではある。専門家用と銘打ったものでも、現代にマッチした製法によって、あくまでも汎用品として作られているたぐいといえる。

 ところが、こうした普通の画材屋では、およそ手に入らないバレンがある。代々、個人から個人へと技を継承し、ほとんど一般の目には触れないところで流通する、正真正銘プロ向けのものだ。

 そのルーツは、いうまでもなく江戸期にまでさかのぼる。江戸木版画の代表である浮世絵の隆盛と歩みをともにし、浮世絵が庶民のあいだで最も持てはやされた江戸中期に現在の形が完成した、と言われている。そこに集約されている技術は、おそらく浮世絵の絵師、彫り師、そして摺り師らがお互いのライバルと腕を競い合い、しだいに微細かつ精妙な表現の可能性を追求する中でたどり着いた、ひとつの成熟した形と捉えることができよう。

 当時の浮世絵を見ると、有名な喜多川歌麿や歌川国定などの作品のなかに、職人たちの製作風景が作品になっているものがある。たとえば職人が版木を彫る横で、もうひとりがノミを削っている様子。あるいは、版木に刷毛で絵の具を塗り込む職人、和紙に刷毛で水気を与える職人、紙を乾かしている職人の様子などが描かれている。当時の職人衆の猥雑な空気が伝わってくるようだ。

 そうしたなかに、やはりバレンが描かれている。竹の皮で包まれ、基本的には今のものとまったく変わりがない。それ自体ひとつの驚きに値するが、これがそのまま現代に伝わっているのが、今日でいう「本ばれん」だ。

 むろんこれを作れる職人は、全国でもほんのひと握り。戦前までは専業の職人がいたようだが、現在は浮世絵版画の摺り師や創作版画などを本職とする人たちが、仕事の合間に内職のような形でこしらえている。

 したがって、こうしたバレンはかなり高価だ。今これを手に入れようとすると、安いものでも6、7万、高いものでは12万とか13万といった額になる。桁が違う。この価格から判断しても、素材、製法、使い心地に至るすべてが一般のものとはまったく異なることが想像できる。

 

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