単純なようで実は複雑な工程を経て、道具はひとつの工芸品となる 当て皮とは、バレンの芯となるバレンツナを収める丸い皿状のもの。バレンを手にしたとき、ちょうど握り拳の当たる部分だ。 素材は和紙を重ね合わせたものだが、たかが紙、柔らかいものと思ったら大間違い。きわめて硬く、しかも強いバネをもっている。 五所氏はまず自作の当て皮を指で軽く弾き、その強さを示してくれた。 「こうやって表面を指で弾くと、カンカンと乾いた音がするでしょ。これじゃなきゃダメ。摺るときに上から押す手の力をバレンツナに伝えるんですから、それはそれは頑丈にできています。理想は木よりも硬く、鉄よりも柔らかくなんて表現があるくらい・・・・・」 彼の本業は版画家だ。自分のオリジナル作品を作りながら、当て皮製作を続けている。この技術を学んだのは27年ほど前のこと、浮世絵の工房で働きつつ、先にもふれた村田勝磨氏から手ほどきを受けたという。 さて、この 製作工程 だが、まず用意するのはコウゾを原料にした手漉きの和紙?それを40枚から50枚ほど丸くカットする。このとき、基本となる大きさのほかに、やや小さいものを何枚かこしらえておく。これは、中に収めるバレンツナが最も効果を発揮するよう、当て皮の内側をやや中高にするためだ。 和紙を貼っていく作業には、ちょうどバレンの大きさくらいの木型を用意する。その上に紙を一枚、また一枚と乗せ、互いに糊で貼り合わせていく。 糊はワラビの根茎から採った澱粉、ワラビ粉。これは糊のなかでも最強と言われ、強いため濃度が薄くても済む。つまり49枚貼り合わせても、あまり厚みが出ないという利点があるのだ。 これを煮て、柿渋を少量混ぜる。柿渋の役割は乾いたあとに耐水性を与え、和紙の大敵である湿気を寄せつけないためだ。この効果を発揮させるためには、貼り合わせる前に和紙の表面にも柿渋を軽く塗っておく。 こうした糊付けの行程は、じつは待つ時間のほうが長い。一枚を張ったら最低でも半日から一日くらい乾かし、次に貼るときには下の紙が完全に乾燥していなければならない。これを怠ると紙に水分が残り、やがて歪みが生じてきてしまうからだ。 彼が失敗例として出したのは、昔のバレン職人がつくったものだった。原因はそう単純ではないようだが、乾燥が十分でなかったか、あるいは柿渋の濃度が濃すぎたためではないかという。 しかし剥がれてしまったことで、かつてのバレン作りの構造をうかがい知れるおまけがついた。剥がれたあいだから見えるのは、和紙にびっしりと印刷された漢字の隊列。古い和書か何かを廃物利用したものだということがわかる。まるで古文書か何かを覗き見るようで、時間が一瞬、過去に戻ったような錯覚に陥った。いずれにしても、この貼り込み作業の善し悪しがネックであることを痛感させられる。 和紙がすべて貼り終わったら、一番上に目の荒い本絹(絽)を一枚張る。これも完全乾燥を待ち、その上に漆を5回くらい塗る。 漆が乾いたら、木型からはずし、縁の高さをバレンツナの厚みに合わせて薄くカットする。その縁を軽く面取りすれば、晴れてでき上がりだ。 完成品を手に取り、僕はしみじみと眺めた。バレンツナが竹の皮であることが信じられなかったのと同様、こちらはもはや紙ではなかった。堅固に接着された和紙の集積は、まさに木の質感に近い。特にカットしたばかりの縁は、下手したら手を切るほどに鋭利だった。 自身の表現の乏しさがもどかしいが、いずれにしてもこれもまた工芸品の域というしかない。決して大げさではなく、ぜひ来世紀まで伝えてほしいと思うひとつだ。 さて、このレポートを読んだ読者が、もしこうした本バレンに興味を持ち、手に入れたいと思ったらどうしたらよいのか。繰り返すが、本バレンは下手な画材屋のたぐいではまず手に入らない。 五所氏 注:1 は言う。 「たとえばある版画家が個展を開いたとします。そこにやってきた作家仲間たちが、彼の作品を観てこう言ったとする−−−−以前の作品に比べてなんとなく摺りが良くなったね、何かわけでも・・・・? 版画家は答える−−−−じつは最近、本バレンというのを使いはじめてね。こう聞いたら仲間たちはどうするか。自分でも本バレンを探しはじめるわけです。でも、簡単に手に入らないものだから、結局は口コミで私らのところへやってくる。実際、そういう人がけっこういるんです」 “本物”を手に入れるには、やはり口コミしかないのである。 (おしまい) |